そこに理由はないだろう

 

世界平和を唱えることと、

日本の平和(平常)を唱えることは両立しない。

とある記事をみてそんなことを考えた。

 

「ラブとピースは違うことなのさ」

 

ミッシェルも言っている

 愛ゆえに差別(区別)は生まれる。

 

愛は地球を救うだの、

愛じゃ救えないだの、

愛じゃない金だのなんだの。

 

どのみち100%の真実なんてありえない。

落としどころをそれぞれ探し出して見つけるしかない。

 

なにを悟ったのか目覚めたのか、

極端な話(特に批判的な内容)を目にすると、

少しげんなりする。

 

ラブとピースは完全な両立はしないかもしれないが、

どちらも大切なものなので、

自分の周りにいる大切な人にはそうなってもらいたい。

(おそらくこれも矛盾を孕んでる)

 

人の不幸(話)がすきな人がいる。

わたしはあまりすきではない。

不幸から這い上がった話は割と嫌いじゃない、苦労話とか。

好んで聞きはしないけど。

現実どうこうじゃなく、

聞きたいか聞きたくないか、

観たいか観たくないかの話。

だからドキュメンタリーとかはあまり観ない。

みんなが幸せになれればいいのにね。

あり得ないけどさ。

 

ちなみに人の不幸がすきな人を嫌いなわけではありません。

否定もしません。

 

このあたりの話は、

泥沼だし、結論も出ないので、

今までのブログ(日記)の話題に挙げたこともないし、

議論を交わすつもりもない。

というか何を今さらな話だから。

 

……

 

一回くらいこういうことも書いてみたかった…のかな。

おそらくもう書きませんこういう話は。

 

もっとくだらない話をしようっと。

 

THEE MICHELL GUN ELEPHANT / GIRLFRIEND